【本の要約・レビュー】『ものがわかるということ』~養老孟子さんが考える”わかる”とは何か~

皆さんは”わかる”ということについて考えたことがありますか?
今回の本では養老孟司さんが様々な角度から物がわかるということを解説してくれています。

私が本やインターネット・SNSで日々得ている知識は、
果たして”わかる”という状態まで昇華できているのか?

せっかく時間をかけて得た情報が自分の中で”わかる”という状態になるのは一体どういうことなんだろう?

そんなことをこの本を読み始めるときに思いました。

情報が手に入りやすくなった現代社会(情報化社会)において、
この”わかる”というテーマはピッタリなテーマだと思います。

目次

著者・養老孟子とは

養老孟司さんはベストセラーであるバカの壁で知られています。
解剖学者である養老孟司さんは、講演やテレビにも多数出演。
最近ではYouTubeチャンネルも開設され、様々な分野で活動されています。

ものがわかるということ の概要

出版社:祥伝社
発売日:2023/2/1
ページ数:216ページ
この本の読書難易度は★5中★3です。

この本は単に文字を追うだけであれば簡単ですが哲学的な内容なので、
全てを理解するには一読では難しいと感じました。
一度きりで終わるのではなく何回も読んで自分の中に吸収していくタイプの本だと思うので、
読書難易度は★5中★3としています。

この本はこんな方におススメです。

・学習意欲が高く、日々情報収集をしている人
・本を読むのが好きな人
・養老孟子さんが好きな人

『ものがわかるということ』から学んだこと

この本で学んだことは数多くあります。
色々な方面からわかるということを説いてくれているので、当然といえば当然です。
ですので、
今回は特に印象に残った箇所をピックアップします。
これを読んで少しでも気になった方は必ず読んで後悔しない内容かと思いますので、
ぜひ本を手に取ってみてください。

わかるとは自分が変わるということ

昔は大学に入るとバカになるという「常識」がありました。
勉強で学べる事もあるが、応用を効かせられるのは「身につく」ことだけだからです。

陽明学の知行合一文武両道が言うように「知ること」と「行うこと」は一つでなければならない。
つまり入力する学習とそれを出力する行動がセットでなければならないのです。

インプット(知ること)とアウトプット(行動に起こすこと)はワンセットである

これを理解していないと、
赤ん坊に教育のビデオを見せたり、
聞くだけの外国語学習をしたりというおかしなことをしてしまいます。

さらに言うとわかるということの本質は単に知識の積み上げではなく、
それをもって自分の見方が変わることです。

例えば、あなたがガンを宣告されたときのことを考えてみましょう。

「あなたはガンで先は長くありません」

こういわれた瞬間から自分の見ていた世界が変わります。
ただ世界は何も変わっていない。
変わったのは自分です。

例えていえば、
以前の自分は部分的に死に生まれ変わったということです。

都市社会では合理性「ああすれば、こうなる」を要求される

都市社会では人間の作った合理的なものしかない。
会社では結果のでる仕組みを徹底的に追求し設計する。
街に出れば人間の作った合理的で設計図があるものしかありません。

そんな「ああすれば、こうなる」の社会と反して、
子育てや自然はそうはいきません。

そしてこうした都市社会の人たちはシミュレーションができない状況では、
どうすればいいのか分からなくなる。

先ほどの話であったように知ることは自分が変わるということ。
自分がどうかわるかなんて想定(シミュレーション)できるはずがなく、
これもまた合理的な社会の中では排除されてしまいます。
つまり知ることが難しい社会になっていくということです。

『 ものがわかるということ』を読んだ感想

ものがわかるとは自分が変わるということ

ものがわかる本質は、
知識をもって自分の一部が生まれ変わること。
という考え方に非常に共感しました。

大学生のころ私が違和感を感じたことがありました。
友人と会話をしていて数か月前と違う考えを発言すると、
「前言っていたことと違う!」
と言われたことがあります。

そこで私は、
「そりゃ生きてれば考え方もかわっていくでしょ」
と答えたことがあります。
なぜこの友人は私がずっと同じ考えをもっていると思ったのか不思議でなりませんでした。

この体験をもって本書を読んだとき、
自分の思っていたことが言語化されているようでとてもすっきりしました。

恋愛ドラマなどでも、
「あなたは変わってしまった」
というセリフはよくありますが変わるのは当然。
そんな変わった彼/彼女を”わかる”ことで、
彼/彼女もまた変わる。
そして「なぜあんな人を好きだったんだろう」と見え方が変わるということなんですね。

人は変わらないものと固定することは情報化社会や「ああすればこうなる」の合理性を求める都市社会の考え方によるものなのかと感じました。
思えば中学や大学受験・会社で求められていたことは、
ほとんどが「ああすればこうなる」ということばかりだったなと思いました。

特に教育の場でこのような思考が染みついてしまっているのであれば問題だと感じました。

知行合一、知ることと行うことは一つでなければならない

またこの本で語られているのは、
知ることとわかることは違うということでした。

それは筋トレをしているとよくわかります。

例えば、
「大きな肩を作る○○という種目のやり方はこれ!」なんて知識は今どこでも手に入ります。
しかしそれを実際にやってみて自分にはなんか合わなかったなんてことはいくらでもあります。
身体は人それぞれ違うのだから、絶対にこの角度に動かせばいいなんてことはないのです。
自分の身体で色々試してみて、やっとその種目が本当の意味で”わかる”のだということを実感します。

最後に

あとがきで養老孟子さんは
『「わかる」ということがわかっていただけましたか?そんなわけないですよね。』
と問いています。

これはまさに本を読むというインプットだけを行った我々読者に対して、
「読んだだけではダメだよ。」
と言っているのだと解釈しました。

アウトプットもしないと「わかる」を本質的に理解できないのは、
本書を読んだ人であれば皆さん理解できると思います。
この本とは長い付き合いになりそうな気がします。

養老さんの書籍『養老孟子の人生論』も要約・レビューしています。
気になった方はこちらもご覧ください。

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