【コラム】本当に読みたい本を解説本や要約で済ませてはいけない

みなさんは読んでみたいけど難しそうで敬遠している本ってありますか?

私の場合はニーチェのツァラトゥストラがそうでした。
「100分で名著」というテレビ番組でツァラトゥストラを知り、
大学で読み切りたいと思っていた本でした。

ツァラトゥストラは哲学書なので、内容は非常に難解で簡単に読めるような本ではありません。
そのためツァラトゥストラをわかりやすく解釈した本も無数にあります。

ですが、「ツァラトゥストラを解釈した本を読む」=「ツァラトゥストラを読んだ」
ということにはならないことを身をもって体感したので今回はそんなお話をしたいと思います。

目次

本当に読みたい本を解説本や要約で済ませてはいけない

ツァラトゥストラを読んだとき、
難しい表現や文脈がわからないことが多々ありました。
その度に何ページも戻ったり、辞書で意味を調べたりして読み進めました。

その体験を経て理解したツァラトゥストラの教えは、腹落ちしていて今でも忘れないものになっています。
わかりやすく解釈した本はツァラトゥストラとは違います。
それは文脈や過程を省略したものだからです。

解釈本は簡単に読めて、そのエッセンスを素早く知るにはとても便利です。
ですが、それで本物を知ったことにはならないということを理解してうまく使う必要がありそうです。

今流行っている「10分でわかる~」のような動画なども同じようなことが言えそうですね。

本を読むことはエッセンスを知ることだけが目的ではない

本を読む目的がエッセンスや教訓をしることだけであれば解説本や要約だけで済むこともあるかもしれません。
ただ私はそうは思いません。

本を読む目的は、
私がツァラトゥストラを必死にかみ砕いて飲み込もうとした経験や、
その当時私が置かれていた環境や心情から自分なりに解釈を見出すことにあると思うからです。

読んでみて難しければ一旦引くのもあり

読んだ本はすぐに読み切らなければならないわけではありません。
難しすぎればちょっと読んでみて辞めるのもアリです。
また知識をつけて、
読み切れなかった本を再び手に取れる機会があれば素晴らしいことだと思います。
そのときはきっと昔よりも読めるようになっているはずです。

そんな長期的な本との付き合い方もあっていいのではないかと思います。

難しい本もとりあえず読んでみる。
「読めなかったらまた今度、どこかでまた出会えたらいいね」
そんなスタンスもありかもしれません。

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